廃藩置県

近代国家誕生の舞台裏

高校生の頃日本史を選択していたのだけど、幕末・明治期はいろいろな改革や事件などあって、ただ用語と年号を覚えるだけだった。そのテストで覚えるための用語の背景には、ものすごいドラマがあるのだろうなぁといつも思っていた。廃藩置県もその1つだ。

明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。

みたいな感じで、さらっと習った憶えがあるが、ウェイウェイ。これってものすごいことじゃない?だって、藩は一つの国みたいなもので、お殿様は絶対的な存在であり、武士がちょっとでも無作法はたらいたら切腹でしょ、時代劇で見たソレ。ゆーてみたら、最高の既得権益みたいなものなわけで、何百もある藩主から、それを取り上げるのはものすごい抵抗があるんじゃない?と思ったけど、実際にその後の反乱などは日本史の授業では習わなかった。これがどうしても不思議だったので、読んでみた。

まぁ実際のところ、これといった理由はさだかではないが、時代の流れと言えばそうなのかもしれない。廃藩置県の前に版籍奉還を行ったが、これは建前は天皇に土地(版)と人(籍)を返還するものだが、実際の支配は藩主から知藩事に名前が変わっただけのものである。この裏側もおもしろいもので、建前と言えど、自分たちの権力は放棄するわけだからそれなりの覚悟みたいなものが必要なものだけど、実際のところは返還した後に再度天皇から付与されることを見込んでおり、その事実により幕末の動乱のなかで衰えてきた藩主の支配力に天皇のご威光を借りる目論見があったりなかったり。

結局、版籍奉還はなし崩しな形で終わるので中央集権で強い国家を作る明治政府にとってはなんの解決もしてない。そこで廃藩置県に至るわけだが、構想からたった2週間で実行されたというのも興味深い。また、廃藩置県が実施される前から廃藩の申し出がいくつかあったのも面白い。これは、戊辰戦争の軍事費の財政の圧迫や飢饉によりコメ不足などによるもので藩政が立ちゆかなくなったからとのこと。

政府も火の車だが、たいていの藩も財政に苦しんでいる状態だった。

篤と熟考今日のままにして瓦解せんよりは寧ろ大英断に出て瓦解いたしたらん

廃藩置県を決めた大久保利通の日記には上のように記述されている。いかに当時の状況が切羽詰まっていたのか分かる一文だ。そしてこの英断は何事も無く実行されるわけだが、その背景には、ひとつに、江戸幕府を倒した薩長土肥の強大な軍事力があり、抵抗すれば負けるのが分かっていたこと。また、版籍奉還でもあったが、もとは天皇から借りているものという大義名分を明治政府が利用したこと、また知藩事はそのまま大名華族になり、ある程度の身分が保証されたこともあげられる。

廃藩置県後の抵抗を強いて挙げるのであれば、農民の一揆があったのも興味深い。これは役目がなくなり東京に出向しなければならない藩主(知藩事)を引き止めるためであり、どこの素性とも分からない中央の政府に統治される不安から、慣れ親しんだ藩主を求めたためと言われる。藩主は華族という名の身分保障、その家来の武士は天皇の大義名分に納得しており、結局農民が一番不安だったのかもしれない。

まぁいろいろあるけど、やっぱり根本にあるのは天皇の崇拝は影響力が高いのだなと感じた。現に、廃藩置県実行後から少し時は経つが、琉球藩の明治政府への編入に関しては、天皇の威光をふりかざしても役に立たなかったので、結局実行力をともなった解決をしている(琉球処分)。

廃藩置県をテーマに2時間ぐらいのドラマを作ってほしいものだ。