【翻訳】ビジュアルデザインはつまらなくなってしまったのか?

HAS VISUAL DESIGN FALLEN FLAT?

Emmet Connolly Original:HAS VISUAL DESIGN FALLEN FLAT? )by Emmet Connolly

2013年から2014年の劇的なUIフラット化により無数のピクセルが流れ落ちていった

それはビジュアルデザインにおいて非常に大きな変化だった。Microsoftの急進的でモダンなMetro UIはその前兆だった。iOS7のリリースよって大衆化し、UIのトレンドは2極化した。Google Material Designによって、おおかた完成した。

フラットデザイン(未完成であるけれど便利な表現)はスキューモーフィズム(同前)を駆逐するだけでなく、それの墓の上で踊り、すべてのべべル、影、墓石のテクスチャさえ消し去ってしまった。

Google Calendar

上図のようなデザインである。 発展、変化、流行は避けられないものだ。このような最新スタイルもまた、いつの日か廃れていくだろう。未来のトレンドを予測することはつまらないゲームかもしれないが、今日の私たちの現在位置を確認し、未来の方向性に思いをめぐらすのは興味深い。何がフラットデザインを延命させるのか?何が次のソフトウエアのビジュアルデザインを代表するものになるのか?

最近のビジュアルデザインの傾向

現在のソフトウエアにおける一般的なビジュアルデザインの傾向をリストにした。

  • iOSとMaterial Designに過度に影響を受けており、それらのガイドラインに奴隷のように執着している。
  • 最小限の影を伴ったフラットレクタングルは頻繁に大きな写真やビデオで使用される。
  • コンテンツ周りのネガティブスペース、密度の低い情報とグリッドレイアウト、大胆さにフォーカス、簡潔なタイポグラフィ。
  • ボーダレス、アクセントとしてビビッドな色が使われるがだいたいプレーンな白いブロックが並んでいる、ポップなカラー配色、低彩度色は写真でよく使われる。
  • ブラー効果の多用、寒色で目立つネオン、これらはマーケティング上有用かもしれないが、コミュニケーション 上は必要ではない。
  • ビジュアル的な装飾を外せば、なめらかなアニメーションとでしゃばらないトランジション効果によってモダンデザインの新鮮さと洗練した印象を与える。

つまり、現在のビジュアル言語の多くは簡潔なシンプリシティのことであり、それはうまく機能している。そこには少なからずトレンドという意味合いがあるかもしれないが、もちろん、これらは一般的に望ましい結果だと言える。アマチュア精神またはソフトウエアにおける簡潔さとデザインの過小評価によって足止めされながらも数十年間にわたって発展してきたデジタルデザインの成熟を意味している。趣味の悪いデザインに見ずにインターネットを楽しむことができる。1つの産業として私たちはこれを誇りに思うべきだろう。

デザイントレンドの例

ミニマム化の傾向はユーザーがより成熟してきた表れと主張するものもいる。つまり、UIがどのように作用するのか分かっているユーザーにとっては、明らかに押せるとわかるようなベベルボタンはもはや必要とされない。補助輪が外されたことにより、デザイナーはユーザーの教育義務から開放され自由に表現できるようになった。最終的にモバイル画面の小ささは、より使いやすくシンプルに、ごちゃごちゃしないデザインの実現に貢献した。

デザインのコモディティ化

目を細めて頭をかしげながら見れば、これらのデザインはどれもひどいものに見えるだろうか?それともよいものだろうか?もしくは同じように見えないだろうか?確かにキレイだけど、少しつまらなくはないだろうか?

多くのIT企業が最新のトレンドを取り入れたデザインをこぞって採用すれば、それはたちまちコモディティ化する。目新しい見た目はクリシェ(仏:陳腐な決まり文句)になる。このスタイルが安っぽくまねされやすいために、このようなデザインの単調な流れとなった。つまり、背景にブラー効果の写真を添え、Helvetica Neueの文字をセンター揃えでトップに置けば、ほとんどできたようなものだ。

私たちが見落としている他のデザインの可能性とはなんだろうか?インターネットとそれを囲むテクノロジーは私たちの世代の文化を作ってきた。個々のデザインを取り上げて見れば美しいだろうが、一体誰が1種類の美しさしかない世界で暮らしたいと思うのだろうか?

ソフトウエアにおける現状のビジュアルデザインは心地よく不快感のない一方で、いくぶんか退屈である。一時的に心地よいスタイルに行き着くのはもちろん、自然なことである。これらは流行のサイクルに入っており、モバイルUIデザインは明らかに多くの手がかりを与え続けている。私たちがトレンドのピークまできていることを誰が知ってるだろうか、それはもしかしたらピークフラットかもしれない。

タッチスクリーンデバイスの登場によってこのスタイルが引き起こされたのなら、より新しいテクノロジーがまた全く新しいビジュアルスタイルのトリガーとなるかもしれない。

デザインにおける技術的な触媒

新たな素材がこういったトレンドの引き金となるなら、過去や他のデザインスクールを振り返り、技術的な挑戦にどのようにデザイナーが答えを出してきたのか探ることは、現在の私たちにとって良いヒントになるかもしれない。

1900年代初期に、スイス系フランス人建築家のル・コルビュジエが鉄筋コンクリートの新しい建築スタイルを確立し、今まで構造的に不可能だったデザインが可能になった。絶対的な美とミニマリズムを追いかける彼の作品において、建物の構造は削減され、劇的で魅力的な現代建築の新しいスタイルを作った。彼にとって必要のないものと思われるすべては無用であるか、不快なものでしかないように思われた。

サヴォア邸

ル・コルビュジエのスタイルが与えた影響は大きかったけれども、現代でこのような建築物を見かけることない。なぜだろうか?1つの理由として、これらのデザインは単独で見ると素晴らしいものであるが、延々と続く場合はすべてが死んだように見える。ル・コルビジェの未完成プランである、60階建の住宅地『輝ける都市』(Radiant City、パリ)は、実現していたら間違いないく社会的なデザイン惨事となっていただろう。それはもはやモダニティによる圧政に等しく、偉大な都市としての魂が失われていると言うまでもない。

輝ける都市

代替案はデザインに対してよりボトムアップであり、有機的であり、ミックスされたアプローチが必要である。ジャーナリストのジェイン・ジェイコブズ氏は彼女の素晴らしい著書である『アメリカ大都市の死と生』(The Death and Life of Great American Cities)において、こう記している。

醜悪や無秩序よりもたちの悪いものがある。これは一見して秩序があるように見せかけているが、それは現実世界の秩序、存在する混乱や苦悩を無視・抑制することによって成し遂げられたものであり、それは偽りの仮面でしかない。

延々と繰り返せば美しくてシンプルなデザインも、良くてつまらないもの、悪くて醜いものへと変貌してしまう。もしすべてのソフトウエアが同じスタイルとなれば、私たちは多様性を認めない愚か者になってしまう。

私たちが都市に住んでるように、デジタル空間にも生きている。この空間が私たちに与える影響は重要であり、もしそれが本当に特別なものになるのであれば、不確かな要素を取り込むことによってバランスを整える必要性があるのではないだろうか。他のものとの兼ね合いにおいてプロダクトが突出するのは美の豊かさと多様性を認めることであり、そうすることで、真の美しいデザイン表現に近づくことができるのだ。

次になにが来るのか?

以下の問いかけに思慮をめぐらすのは価値のあることであり、その過程において、より成熟したソフトウエアのビジュアルデザインがどうなっているか想像してみてほしい。

  • デスクトップで、ドラッグ可能なパネル操作は、2Dポインティングデバイスに対する自然な補完といえるかもしれない。現在のトレンドは、なめらかで身動きの取れない石版のようなデバイス(モニターやタブレット)によって、さまざまな影響を受けている。そういう意味では、フラットデザインというのは、初期のスマートフォンの過剰なメタファーよりもタッチスクリーンに対して『ネイティブ』と言えるのかもしれない。たぶん、ガラスの下にある画像がそう見えるべきである正直な本音かもしれない。ツールが私たちを形作る、それから私たちがどのようにデザインするかデザインする。デバイスの特性が変わることで私たちの見ているものに、どのような影響をあたえるだろうか?どのくらいの期間フラットデザインが続くのだろうか?
  • すべてのトレンドは大衆の反発によって引きずられる。自然の流行の満引きによれば、ミニマム至上主義が終わる日が来るだろう。90年代のデスクトップ印刷ソフトウエアはグランジ雑誌をリードした。00年代の家電としてのコンピューターはオーバーサイズピクセルの表現をリードした。現在はタッチスクリーンとフラットデザインがある。また次があるだろうし常にトレンドは存在する。
  • 私たちが触れるデータはますます小さなコンテンツの塊となっており、それはカードの形をしている。アプリの機能の多くはOSレベルまで内包するようになるだろうか?もしそうであれば、さらに同質的なUIへとなっていくのか?今度はそのトレンドに反する動きがあるのだろうか?
  • テクノロジーはいまも山火事がごとく世界中に広がっている。オンラインの数億の人々の世界は、現在の代表的なデザインであるDesigned-in-Californiaとはまったく異なる、彼らのスタイル、志向、文化的影響とともに、いったい何をもたらすのだろうか?

さて、これの予想のどれが現実となるだろうか?思えば遠くに来たものだ。わたしはこれから嘘をつくつもりはない。

実際のところ私は知らないのだ。

たぶん今後、大きなシフトチェンジは起こらないだろう。デスクトップメタファーが生まれて以来、UIにおける現実世界のつまらないオブジェクト表現は長い間、変わりなかった。一体誰がこの最小限に装飾されたデジタルオブジェクトを操作する新しいアプローチが長くつづくと言えるだろうか?

私はいくぶんか懐疑的である。

君は答えを持っているか?

あなたの考えをコメントに書いてほしい。最近あなたが見たとてもユニークなデザインはなんだろうか?私たちはあなたが考える『次』がどんなものか知りたい。

もしくは一緒に考えてみないだろうか?私たちは新しいデザインスタイルを創り、それを一貫性がある洗練されたマルチプラットフォームデザインシステムに落としこめるSenior Visual Designerを募集している


[翻訳ここまで]

エンジニアの書く文章と違ってデザイナーの英語は難しい。そんなことはどうでもいいが、毎度すてきなデザイン記事を書くことに定評のあるIntercomでデザインディレクターをしているEmmet Connolly氏の記事。日本のデザイナーからどんな反応があるのか、彼は楽しみにしていたので、よかったらここにコメントしてくださいませ。