若人へ

もう僕も30だ。ここで老害っぽくこれから新しい一歩を踏み出すニューカマーのために気の利いたことを言いたい衝動に駆られている。

これから社会に入って、いろいろうまく行かないことや八方塞がりな状態にもなるかと思う。しかし、そうゆうものは自分をうまくコントロールできれば大抵のことは解決できる(と思っている)。そんなことを話したいと思う。

選択

人間誰もが、毎日『選択』という行為をしている。選択という行為は、今日は何を食べようか?といったルーチン的な選択もあれば、どの会社に入社・転職しようか?といった重大な選択まで様々である。そして、その選択してきた結果が『今の自分』である。

どの大学に入るか、どの会社に入るかといった重大な選択は『選択』として皆が意識している(せざるを得ない)ことだろう。しかし、僕が重要だと思っているのは、毎日の比較的重要ではない選択の方だ。例えば、今僕が英語を喋れないのは、30年という人生の中で毎日10分でも英語の勉強をするという選択をしていれば、今より多少マシになっていたはずだ。僕がプログラミングできないのも〜・・・など、結局『〜したい』と言いながらも僕はそれを実現するための選択をしてこなかったのである。

問題は、毎日『〜しない』という選択をしているにもかかわらず、それに対して無自覚なところである。例えば、毎日の英語を勉強する・しないといった選択も、毎日『今日は英語を勉強しない!』と思って過ごしているわけではない。ただ会社から帰ってきて疲れてそのままベッドの中で寝ちゃったとか、なし崩し的に選択しているのである。

要は、自分の責任であるということをまず認識しなければならない。しかし、良い選択を毎日できるような意思の強い人、つまり自分をコントロールできる人はそうそういない。僕もそうだ。だから、どうやったらコントロールできるのか考える必要がある。

環境

毎日良い選択をし続けるというのは非常に難しいことである。厳しい方と楽な方が選択可能であれば人間は楽な方を選択する。であれば、楽な方を選択不可能にすれば良いのである。

そこで環境の力を利用する。環境というのはすごく重要だ。例えば、アメリカ人が英語を話せるのはアメリカという環境(国)に住んでいるからであり、日本語を話す(さなければならない)という選択肢が、当たり前だが、ないからである。

僕はアメリカ人ではないので、生まれた時からこの環境を利用することは出来ないけれども、留学や海外就職といった手段でこの環境を手に入れることができる。そうすれば、英語を勉強しないとは言ってられない、やらざるを得ない状況である。もちろん日本人留学生同士で固まってたら意味ないけども、少なくとも日本にいるよりかは楽な方を選択しづらい、追い込まれている状況である。

留学や海外就職というのは金銭的にも時間的にもコストが高い環境なので、もう少しカジュアルに環境を利用することを考えてみよう。

例えば、ぼくはWebデベロッパーとして何か新しい技術を学びたいと思ったら、その技術について発表する機会を設ける。そうすれば、皆の前で間違ったことを喋ってはいけないのでちゃんと調べるし、その勉強会の日程も決まっているので、否が応でもやんなきゃいけない。ここでのコスト自体は、社内勉強会なら時間とってやれるだろうし、リスク的にも下手なことを喋って皆の信用を失くす程度である。

ここで重要なのはある程度のリスクやコストがなければ、『ごめん、寝てた(ノω・)テヘペロ』という楽な方に流れてしまうので、リスクやコストは高ければ高い方が追い込まれていい(心配症な人もいるかと思うので言っておくが、リスクというのは自分でリカバーできる程度のリスクしか取れない、なので失敗しても問題ない、また頑張ればいい)。

そのような活動を続けていると、今度は社外勉強会で喋れる機会が巡ってきたり、有料セミナーへの登壇、数千人規模のカンファレンスで登壇などより高いリスク・コストの環境を利用することができる。

つまり、今までは選択したくてもできなかった、より良い環境を選択することが可能になってくる。環境自体も固定されたものではなくステップアップして選択していけばよいのである。

危機感

毎日良い選択を続けるというのは難しいので、良い選択をしなければならない環境を作る(設定する)ことで、ある程度のスパンは自分を強制的にコントロールすることが出来る。その環境がなくなれば(効力がなくなれば)より良い環境をまた選択すればよい。

環境を利用することで毎日の選択を考えなくても良くなるので、ある程度はコントロールできるようになると思うが、環境もまた選択しなければならない。このモチベーションはどうすべきかという問題がある。

モチベーションに関しては万人に共通することが言えないので、あくまで自分の場合を考えると、ただの危機感である。思い起こせば、友人は大学を卒業して銀行員や教師になったりして、安定した(実際はどうかわからないけど)職を得ていた。かたや僕は地方のWebデザイナーだった。

この先、50・60歳になってもこの職を続けらていられるのだろうか、その前に30・40歳で若い優秀な人に取って変わられるのではないだろか、はたまた技術革新でそもそもWebを作る人がいなくなるじゃないのかとか、いろいろ不安だ。その不安は今でもある。むしろその危機感は増大している。たぶん、一生働かなくてもいいくらいのお金を得るまでこの不安は続くのだろう。だから僕はより良い選択をしていかなければならない。

とまぁ夢も希望もない話だけど、今日はエイプリルフールだから、あんま気にすんな(ノω・)テヘペロ